電脳文芸同人誌 鐘楼

我、鐘を鳴らす者也。此の音、鐘を聴いた者の音也。

第四鐘 深淵を覗くとき


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はじめに 

 

 第四に登場するのは、世界を又にかける文芸の大家ではなく、狂った美術家であることを謝罪したい。私は薬物もアルコールもやらないが、貧乏育ちの偏食が高じて脳にいかれたものが住んでいるようだ。トカゲ、カエル、キノコ、木の皮、噛み切れるものならなんでも食べた。美術で稼ぐようになるまで健康なうんち、透明の尿を出したおぼえはない。まあ、水で腹を満たすと、尿は透明になるがうんちは言わずと知れているだろう。一週間のうちに賭けのような食事をして痙攣しなかった日はない。

 10歳のときである、幼少の私には拾った段ボールに絵を描くという趣味があった。ほかの子は読書やゲームをしていたが、私にはほかの子と並んで見劣りしない服もなければ、個人的な持ち物は教会の勉強会で盗んだえんぴつ数本のみだった。あまりに暇を持て余した私にはひろった段ボールに絵を描くという楽しみしかなかった。大作に挑戦してみたい年ごろの私は町で一番の豪邸を、段ボールをつなぎ合わせて作った巨大なキャンパスに描いた。ただのデッサンだったので、教会に絵の具を借りに行ったところ、、、あとは、ご存じの通りだ。時代が進み、絵画の価値は失われてしまった。誰も出歩かない。本物よりも、画面上の体験を重視する。そのうち油絵の美しい隆起も、画面で再現されることだろう。本物の価値は、あるいは贋作の価値は、時代によって逆転を繰り返すのだろうが、きっと私が思う本物は絶滅する。

 はじめは、愚か者が一目見てもわかる美術、というテーマだった。芸術家のよくある反骨心だが、そのうち楽しくなった。見たものをそのまま描写する芸術の、何光年も先を行っていると思い始めた。見て、感じるだけでいい。感想も評価もいらない。なぜなら私がいま取り組む美術は、鑑賞される美術ではなく、見る人に鑑賞させる美術なのだ。しかし美しいという感情は不変である。おいぼれだが、忘れてはいない。

 

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作者:エウレーリョ男爵(本名 佐藤武

日本の移民政策「グローバル・ジャボネズム作戦」のロシア移民2世。極貧の幼少生活を送るが10歳のときの作品「紙の豪邸」で(株)OZOZタウン協賛全国美術博で大賞を受賞。以来世界的なアーティストとしての地位を確立。かの自由俳句運動については「美術にも同じことが必要」と述べるなど、前衛的芸術保守派の第一人者。先日、ワールドワイドオークション「the:バベルofキャンバス」にて最高額の2京8千億円を記録。次の目標は「宇宙人を感動させる」